できるかな

法律はやはり、株主や役員を特別扱いする文化というか、そういうものをひしひしと感じました。しかし、決め事の自由度は高いので、どうにでもなります。どうしたいかを実現することはできます。
会社を作るのは金もそれなりにかかるし、リスクを負うし、目立つし、メリットを感じない人は普通つくろうと思わないでしょう。しかし、この国は、貧乏人より金持ちに、サラリーマンより社長に、働く動くひとより命令するだけの人に、従業員より資本家に、有利にできています。おそらくアメリカンなドリームを持ち込んだものと思いますが*1奴隷制度時代の名残というのでしょうか。昨今、ワーキングプアとか、環境問題とか、自治体...もしかすると国家の破産とか、市場原理至上主義では解決できないと思われる問題が顕著だと感じています。社会はさらに進化して*2次のステップに進まなければ、鬱積した問題がいつか噴火して、改革がなされます。そして現代における改革とはすなわちテロです。
たとえば国が、自国の利益を主張し獲得するのに、実は国際協力・貢献が必要とされることと、おなじような視点が必要に思います。
ひとりよがりは通用しないのです。
知識を持った人間は、いつまでも騙されたり、ガマンしたりしないのです。
だから力ある支配している側からの「みんながそれなりに納得するレベル」へのアプローチが必要なのです。


どうも話が大きくなりましたが、国家と会社と、構造は全く等しく当てはまるように思っています。
みんなが知って、考えて、動くことが必要だと思います。
もっとも、そこまで社会的・政治的になる必要はないのかもしれません。それは人それぞれ、求めるものが異なりますから。
それでも「知ってしまった人間」は、どこまでがまんするものなのか?とても気になります。
もっと身近にあれば、「やっぱりオレそれがいい」と言ってくれるのではないかと思います。

*1:しっかし「じゅんいちろう君」の罪は相当なもんだね

*2:市場原理至上主義が資本主義の原点だとすると、資本主義の限界が指摘されている、と考えられます。